活動休止と書いてパワーアップ。

いろんな分野のオタクたちにはイベント中止も大ダメージだったと思います。まじで。本当。

末端ジャニオタの私にとっては、今年は本当に大事な2020年だったのですが、何もかも中止になりました。

 


嵐。

 


それでも彼らはやってくれました。今ラストライブを見ながらこの記事を書いています。集中したくてもどこか現実逃避なんですよねぇ。終わりじゃない。終わりじゃないんだけど。


サイズがでかくなればなるほど、準備は前もってイベントをしないといけないと思います。限界まで「普通に開催する」道を探そうとすればするほど、中止した時のダメージはでかいわけで。今年やりたかったことのうち、どれだけのことを「普通に」開催できたんでしょうか彼らは。


かなり金銭的ダメージも大きかったのではないかと思います。コ●ケが中止になった時、主催社がその後自社ビルから引っ越したという記事を昔読みました。イベントを中止するととても金銭的ダメージを負うんだということを、そのとき実感しました。

野暮なこと言うなとも思いますが、想いだけでは解決できないものもあると思います。

 


コロナの中、大野くんの個展に友人と行きました。とても良かったです。何回も見たいと思いました。小並感で申し訳ない。語彙力が飛んでいくような個展だった。


アラフェス。

国立でやったアラフェス。どうしても国立でやりたかったんですよね。無観客でも、このコロナ禍でも、国立でやれるだけの立場を手に入れたんですよ。いいぞいいぞ。それでこそ嵐。みんなで頑張ってきたんだよな。ファンは応援しているぞ。

 

そして大晦日のラストライブ。

振り返ればいろんなアーティストがやってましたね、オンラインライブ。とても画期的でした。本当は会場でしたかったんだと思います。こんなはずじゃなかったんだと思います。でも、予定とは違った形になったけど、「こういうのもいいね!」と思わせてくれるところは、さすがだと思いました。

Twitterの専用ハッシュタグを使って、みんなで観るのもとても楽しいです。全席アリーナです。銀テ1人一本ゲットできました。超大盤振る舞いです。

 

アイドルだけど、当然同じ人間です。年を重ねていく中で、「人生」を考えたことがあったんだと思います。

鳴かず飛ばずの時代を経て、国民的スターになった彼らが、活動休止という選択をすることで、これから先のアイドル像が変わってくるんだろうなーと思います。

 


自分のことを考えてほしい。

自分のことを大切にしてほしい。

大丈夫大丈夫。

みんな待ってる。

 

HELLO NEW DREAM.

夢だけ持ったっていいでしょ?

今年を振り返る。

どこに行ってもコロナコロナの1年でしたね。マスクが店頭から消え、あっという間に世界中が飲み込まれました。在宅ワークやリモートワーク、あれだけ進まなかった働き方改革は、皮肉にも新型コロナのおかげで驚くほど進みました。オリンピックもすったもんだの上、延期。もう中止でええんちゃうかと思いながら、時折ひっそりと放出される「TOKYO2020」デザインのアレやコレを積極的に手に取ってレジに持っていきます。感染症がなかったら、店の1番目立つところに飾られていたはずのこれらは、ワゴンの中で寂しく山積みにされているのでした。


私はというとですね、いよいよポンコツ度が増してきましたので、恥を忍んでたくさんたくさん異動希望理由を書いたところ、異動できました。おかげ今はとても毎日が平和です。異動するとそれなりに新しいことを覚えないといけなくて、結構頭を使って、あっぷあっぷしてたのですが、「大丈夫、大丈夫。なんとかなるなる」という先輩方のおかげでなんとかやってました。


ところが、びっくりするほど意外だったのですが、一気に平和になったせいで、頭がおかしくなったんでしょうね。「まだ隠れてたの!?!?」ってレベルの量の嫌な記憶がドンっと出てきて、ニッチもサッチもいかなくなりました。いやーびっくり。死ぬかと思ったし、実際死ぬところだった。

 


死に体で情報収集してたら、いい薬を見つけまして。藁にもすがる思いで飲んだら、これが思いの外効いてくれました。おかげでちょっと自分と向き合えました。それが後半でした。怪しい薬じゃないですよ。念のため。

薬が効き始めると、冷静に自分を分析することができました。頭がおかしい時の自分と、落ち着いている時の自分の差を理解することができて、「なるほど、思ったよりも自分はだめだったみたいだ。」と思いました。そして同時に失ったものの大きさに愕然としました。早期治療って本当大事です。同じ症状の人には早く治療を受けてもらいたいと心の底から思います。

自分がどんな悩みを抱えているかは、ちょっとここに書く勇気はないんです。すみません。いつかひっそりと別のブログで書こうかなーとは思ってます。回復までの闘病記を書きたい。


会社の人たちのうち、前の部署の人たちとはほとんど連絡を断ちました。身を削ってバランスとってたつもりだったんだけど、ぜーんぜん取れてなかったし、振り返って本当に意味なかったと思ったので、断ちました。自分を大切にします。

 


自分のポンコツ具合が病気のせいもあるとしても、それを会社の人に言う勇気はないです。中途半端なサイズのコミュニティでは、噂が広まるだけ広まってしまうので。

とはいえ、ポンコツという悪評も広まってるんですよね、すでに。本当に嫌な会社です。仕方がないけども。

病気が理由の一つとなったら、噂の発信源の人は一応口を慎むのですが、すでに広まった噂の火消しまではしませんからね。火消しはしないけど、病気という噂は回る。うーん、どっちに転んでも悪いwww

 

 

 

「人生を取り戻したい」

 


今年振り返って、自分の中に芽生えた気持ちはコレでした。人生を取り戻したい。

 


年も取りました。

もう取り戻せない気もします。

どうしたらいいのでしょうか。

頑張れるかな。頑張りたいな。


薬で改善できるなら、また一年後、思ってることも変わるかもしれません。もう躓くのは嫌だなぁ。


オタクとしての振り返りも書きたかったのですが、長くなったのでそれはまた別に書きます。

大往生でした。

大伯母が亡くなりました。96歳でした。

小さな小さな集落で一生を過ごしたおばは、生涯独身でした。弟にあたる私の祖父一家と同居し、ひとまわり違う弟嫁と小競り合いをしながら楽しく暮らしていました。姪たちにとっては、育ての親のような、私にとってはもう1人のばーちゃんのような感じでした。

 


親戚筋では1番年上だったため、何年か前から「いつか亡くなるんだろうな。嫌だなぁ」というぼんやりとした想いが、顔を見るたびに浮かんできて困っていました。数年前に軽い脳梗塞をして入院したときは、いよいよだろうかと思っていましたが、ベッドの上でとても意識ははっきりとしており、とにかく早く帰りたいと訴える元気はありました。

 


しかし退院後すぐに骨折。それからはずっと入院でした。テレビもない病室でどんどん言葉が減っていくおばを見ながら、なんとか連れて帰れないかと思っていましたが、おばの家は空調が整っておらず、高齢の身には負担が大きいと思えたため、これもおばのためと思いそのまま入院させていました。

 


しかしおばが入院中、思いがけず弟嫁、そして弟と相次いで亡くなり、1番年上のおばが生き残るという事態になりました。私は弟たちが亡くなった事を言い出せず、「もうすぐ帰れるようになるよ」と励ますだけでした。

 


ベッドの上で起こしていた上半身は、やがて寝返りをうつ程度にしか動かなくなり、体はどんどん痩せていきました。しかし、言葉こそでないものの、人を認識することはでき、簡単な問いかけには頷いていたおば。見舞客が減った事を気に病んでいないかと、心配していました。ちょうど世間は新型コロナウイルス感染症にピリピリしており、おばの入院先も面会謝絶でした。会うことが許されない状況で、おばが何を思ったのか、もう知る術はありません。


11月29日。病院から電話がありました。

酸素を10リッター入れている。


知識がおありの方は、この数字がいかに絶望的かおわかりでしょう。聞いたときは「もうだめだ」と思いました。


会いに行けないけど、生きている。


みんなの中でそんな存在になりつつあったおばが、立場を変えようとしています。すぐさま会いに行かなければと思ったのですが、どこか冷静な私たちとは、「行ってもどうせ会えないよ」と思ってしまいました。

 


翌30日。病院に掛け合って、姪の中で都合のつくものだけ、面会を許されました。手を握ると、嫌そうに追い払われ、「あぁ、生きているなぁ」と思ったそうです。酸素も奇跡的に3リッターとなり、持ち直したかに思えました。

しかしその1時間後、容態は急変し、眠るように息を引き取りました。最期、呼吸が止まりましたが、心臓だけは動いており、私たちはまだ温かいおばの手を握ることができました。

 


小さな小さなおばです。初めから、無理な延命しないと決めていました。あばら骨が折れるような心臓マッサージは不要です。大往生です。苦しまないのが1番だと思いました。

 


通夜葬儀は近親者で済ませました。

普通の体格なら入りきらないはずの骨壺に、おばは全て入ってしまいました。小さな小さなおばでした。

可愛らしい花柄の骨壺は、おばが好きそうな柄です。

 


外出嫌いのおばでしたが、5年ほど前、突然我が家に来てくれました。遺影はその時の写真です。ちょっとピンボケですが、自然でいい笑顔です。新しい世界でも、この写真のように、笑顔で暮らしてくれることを願っています。

洗車洗車せんしゃっしゃ

愛車は紺色。汚れが目立ちやすい。汚れているのが目に入ると結構ストレス。

おまけにリアワイパーはバックする時に勝手に動く仕様。

フロントガラスは「あー汚れてるなぁ…このくらいの雨ならワイパーやめとこう」と思うんだが、リアはつい忘れがちで、気がついたら「うおぉおおお砂ぁあああ!!!!」みたいなことになる。なるなる。ショック。

 


ということで、車体が冷えているこの季節、シャッシャと洗った!!

 


古いフリース生地を切ってスポンジ代わりにして、大量の水と一緒に流す。タイヤホイルキャップも忘れずに。

汚れが目立ちやすいボディは、綺麗になったのも分かりやすいボディ。全身ずぶ濡れになりながら洗うと、この季節はちょっと寒いけど、まーいっか。

本当は誰か手伝ってほしいけど、そうもいかないので手の届かないところは洗えてない気がするけど気にしないぞー!

 


風が強いとすぐ砂塗れになるから、綺麗なボディもほんのちょっとで汚れるけど、それでも綺麗になった車体を見るのは気分がいいね。ストレス減る減る。

 


心が弱いと、汚れているのをみた時につられちゃうのなぁ。

 


家の整理整頓にはまだまだ程遠い。。。

 

物理的に頭にアプローチする

自分が弱くて情けないのだけれど、過去の嫌な記憶にずーっととらわれている。嫌な記憶はいつも容赦なく飛び出てきて、その度にぐっと奥歯を噛み締める。仕事が忙しいときは、嫌な記憶と仕事の両方に頭を使わなければならないため本当に辛くて、「息を大きく吸う」ことで回避していた。息を大きく吸う時は、頭も体も息を吸うことに集中するので、その間だけ記憶に惑わされないで済んでいた。そこ1秒もないわずかな時間だけれど。

 


どんなときでも休まずにTwitterだけはやる大馬鹿野郎の私は、毎日追い詰められててもTwitterだけはやっていた。そんなある日、P社の頭皮エステという頭のマッサージ機械に関するレポが出回ってた。イラストレーターさんだったかな。PRじゃなくて、個人的にいいと思ったので描いてます、みたいな感じだった。「頭が凝るから手でマッサージしてたけど、限界あったので買ってみました。周りもハマりました」とあった。

前々から頭痛・頭の凝り解消に興味があって、「ほーん、ええなー気になるなー」と思ってたんだけど、1万前後してたので、どうしよーかなーと思いながら2、3ヶ月経った。相変わらずの優柔不断。

 


すると時は新型コロナの真っ只中。生産ラインの減少と、突如全国を襲った10万円のおかげであっという間に大手通販サイトは値段が変動し始めた。定価割れはいつしか定価+千円くらいになり、在庫ありからメーカー問い合わせに。今までほとんど見向きもされなかったのに、あれよあれよと言う間に大人気商品になった。慌ててYサイトから買うと、「ごめんね。メーカー欠品だったから1ヶ月かかる」と言われた。おっとやらかした。はやく頼めばよかったなーなんて思いながら待った。

 

 

 

来た。

先月。

 

 

 

使用感は予想通り。確かに気持ちがいい。私は過去に「頭がヒリヒリする」と書いたことがあるが、そんなときでもたぶんこれがあると回避できると思う。揉むというよりは、グリグリされる。でもそれがいい。無意味な頭痛も減ると思う。これはいい商品だ。

カッサブラシとソフトならカッサがいい。たぶんソフトは物足りなくなる。モードは1つでもいいと思う。

 


こんな感じで毎日部屋にいながらしていたが、あるとき気づいた。

 


している間は、嫌なことを思い出さない気がする。

 

 

 

理由はわからない。でもたぶん、頭に物理的な刺激があること・思いの外音が大きく、それに気を取られること。

これが理由であまり思い出さないんじゃないかなーと思った。素人判断で申し訳ないのだが、鬱々とした時にも使えるんじゃなかろうか。

 


悩みやすい人で、頭皮(頭)が固くなって辛いと言う人は、使ってみたらどうでしょうか。頭も筋肉です。たぶん凝ります。凝りをほぐすと少し見えてくるものがあるかもしれないよ。

 

箱庭療法だなも

世界中で大ヒットしている、アレ、はじめました。

ぼーっとしながらできるのがとてもいい。眠くなるけれど。まるで箱庭療法

 


私は少し完璧主義なところがある。理想とする形があって、それに合うように進めていくのだが、いかんせん、計画的では無い。理想がある割には、今やりたいこと・手をつけたいことからやってしまうので、少し進めたところで到底理想のものにはたどり着けないということがわかる。となると、やめてしまう。毎日こんな感じだ。


でも、小さな物ならできる。スタートからゴールまでの距離が短い物ならできる。もしくは、何度でもやり直せるものならできる。あつ森は何度でもやり直せる。好きな形にするために、何度も何度とやり直せる。そして完成させられる。


ゲームの世界の小さな小さな箱庭で、前向きになる訓練をする。がんばろうがんばろう。ここで終わりにしてはダメだ。がんばろう。

 

いつの間にか隠居

改めて思うと、ちょっと激しめの人生だった。

 

みんな抗えないものがあると思う。老いだ。

 

極端だが、肌の張りは赤ちゃんと80歳では違うし、記憶力も運動能力も中学生と70歳では違う。みんな少しずつ老いる。

もちろん人生で1番楽しい時は人それぞれ違うが、平均的なタイミングは大体一緒なんじゃないかと思う。

 

そう思い至ったのだが、その平均的なタイミングの時、自分は地獄の底にいたので全く楽しくなかった。楽しくなかったのに、時間だけがすぎてしまっていることに気がついた時、「もう人生終わりかー」と思うことがある。これから立て直せるのかという疑問も出なくなって、もう無理だなぁと納得してしまうこと。「いやいや、まだまだこっからや!」と思うことすらしなくなったこと。

一時的な感覚だけども、その感覚が一日一回起こり、それが続くと無気力な日々が続く。

 

1日は24時間。そんなものみんな知っている。1年は365日。もちろんそれもわかっている。無気力が1日5分でも、それがとても暗く重い5分なら、1年続けば、振り返った時に無気力な1年になる。楽しかったことがあったのかもしれないけれど、振り返っても思い出せない。なんて都合の悪い頭なんだ。低燃費なので楽しいこと1つでだいたい1か月くらいは生きていけるというのに。

 

まぁ実は年明けからそんな感じだった。友達と話す時は場に適した話題もできるし、楽しい自分があることは理解している。ただ1日の中に必ず「不安」な瞬間がある。その繰り返しである日突然、いろんなものに対して抵抗する気がなくなってしまった。もういいかーみたいな。

そんで、もういいかーってなった時に、結構楽なことに気がついた。

先輩が間違えてても、もういいかー。

誰かがした方がいいけど、もういいかー。

時間はみんな平等なら、楽に過ごした方がいいよなー。だったら仕事も楽なところに行きたいなー。

 

と思い、あれやこれや頑張って支社にへ島流しに遭うことにしました。4月から支社です。1日平和。くそやろうが1人もいない。おかげでしばらくは余計なことを考えすぎてしまうだろうけど、考えすぎた時にちょっとずつ対処できるようになったらいいなぁ。