ばーちゃんがしんだ。きろく。

勝手に流れる涙をTシャツの裾で拭きながらこれを書いている。ばーちゃんが死んだ。突然だった。

20日朝、家を出た直後に、知らないけれども公的機関のようなわかりやすい電話番号から不在着信が入っていた。運転中だったので気づかずにそのまま出勤した。会社についてすぐ、ちょっとした外回りに出かけた。取引先の駐車場に車を止め、建物に向かって歩いているときに、会社から電話があった。仕事に関する連絡で、へいへいと気が抜けた返事をして電話を切ったとき、一つ前に不在着信が入っていたことに気が付いた。気づいたときは不在着信から30分が経っていた。慌てて電話をかけ、ばーちゃんの調子が悪いことを告げられた。前日に入院したばーちゃん。確かに調子が悪いようだったけど、そんなに悪いとは思ってなくて、そのまま取引先に10分滞在し、急いで会社に帰った。会社に帰り、上司にばーちゃんの調子が悪いことを告げ、すぐに病院に向かった。病院から会社までは10分もかからない。頭の中では、ばーちゃんを親族で囲んで励ますような画が浮かび、医者に「今夜が山場です」なんて告げられるのだろうかとのんきなことを考えていた。

 

病院につき、広い病院を少し迷いながら目的の階へのエレベーターに乗った。総合病院で、たくさんの人が働いているというのに、たまたま同じエレベーターに乗った看護師は、先ほど電話で話した人だった。「もしかして○○さんのお孫さんですか?」と聞かれ、はいと答えると「よかった間に合って。今ご家族が先生の話を聞いておられますよ」と言われた。よかった。なんとなく想像をしていた通りだ。今晩病院に泊まれるかなとぼんやり考えていた。

エレベーターを降りると、すぐに待合室があり、医師の向かい側で、母、祖父、おば2、おば1、いとこが話を聞いていた。きっとこれからの治療方針の説明を受けているに違いない。そう思って近づくと、医師は言った。

 

「・・・では、死亡診断書を書かせていただきます」

 

死亡診断書。そうか、間に合わなかったのか。ばーちゃんが死んでしまった。おば1といとこも間に合わなかったようで、看護師さんに促されるまま病室に入り、ばーちゃんの顔を見た。すでに青くなっていた。泣きながら手を握るおば1を直視できずに、病室を出て会社に電話をした。ばーちゃんが死んだので、すみません、2~3日はバタバタしますと告げた。田舎の小さな会社なので、上司も仕事よりも家族が優先というような感じだ。悼むような声で短く了承され、電話を切った。10分ほどして父と妹も到着した。2人は医療関係者で、少し医師から説明を聞きたそうにしていたが、葬儀をどうするかが急務だった。葬儀場はいろんな理由から、すでにみんなの中で一致していたが、ばーちゃんを家に連れて帰るか、どのくらいの規模にするかは決めかねており、とりあえず私がいとこを連れて先にばーちゃん家を片付けることにした。途中、予定変更しておば1もつれていった。携帯を家に忘れてきたおばは、いとこの携帯を使って連絡を取っていた。「今日は通夜はしない。いったん家に連れて帰りたい。明日が通夜で明後日が葬式。でもそうすると葬式の日は友引。ならば通夜を2日するか。」こんな電話がおば2からかかってくる。でもおば2も動転しており、言ってることがころころと変わる。おば1はばーちゃんを家に連れて帰ることには反対だったようだが、おば2の言うとおりにすることになった。

ばーちゃんの家は言い方は悪いがごみ屋敷だった。整理しきれない荷物は、仏壇のある座敷の半分を占領しており、残る半分にはじーちゃんが使っている介護用ベッドがある。わかっていたが、本当にここに連れて帰るのかと呆然とした。タイムリミットは1時間。悩んでいても仕方がないので、とりあえずベッドを動かして、物を押し入れに押し込んでなんとか座敷をきれいにした。

ばあちゃんは葬儀屋の軽バンに乗ってやってきた。ストレッチャーからおろし、縁側から座敷に迎え入れた。おば1、おば2、いとこ、私、そして葬儀屋。5人で抱えたが、とても重かった。白い布にくるまれたばあちゃんを布団に乗せた時、おなかの上に置かれていた左手がコロンと布団の上に落ちた。とても白かったが、まだ生きているような気がしてならなかった。今思えばその時に手を握ればよかった。ばあちゃんに白い布がかけられ、葬儀屋との打ち合わせが始まった。祖父と母、ばーちゃんの故郷から親族も到着し、あれこれ決まった。祖父はもともと耳が遠く、はっきりいって話の輪に入れていなかった。数年前に作った補聴器も電池切れだったため、慌てて電池を買いに行って戻ってきたら一同はいったん解散しており、祖父と祖父のお守りの母がいた。15時には坊さんがくると伝えられた。

座敷に寝かされているばーちゃんを眺めていたが、白い布をとる勇気はなかった。なぜか右ほほに薄ピンクのシミがついていた。あとで聞かされたが、口から血があふれていたようだった。途中、母が座敷に来た。なんとなく2人にしたほうがいい気がして、そっと離れた。しばらくばーちゃん、祖父、母、いとこで家にいたが、そういえば飯を食っていないことを思い出し、飯を買いに出かけた。途中、仕事に戻るころになり、坊さんの読経には参加しなかった。確かに急ぎの仕事はあったが、本当はばーちゃんが死んだこと受け止められなかったんだと思う。結局15時から仕事に戻り、上司に報告をして18時くらいまで会社にいた。

 

帰宅してもばーちゃんの家に行く気にはなれなかった。奇しくも前日に予防接種をしており、その副作用で全身がだるかったのもあった。こたつに入り、ぼーっとしていた。母は何度も家に帰ってきて、荷物を用意したり、忙しそうにしていた。妹は仕事に出かけており、夜は私一人が家にいた。0時ごろになると、一人暮らし先から弟も帰ってきた。弟と父もばーちゃんのところに行った。母と娘2人でつくられたライングループには、休憩時間に妹から延命治療についての連絡が来ていた。心臓マッサージで肋骨、折れてたらしい。必要性はわかるし、年寄りの骨だから折れるのは承知の上だったが、折れるくらいならもういいですよと、医師に伝えておくべきだったねと言い合った。

翌朝、通夜の日が来た。朝は小雨だったが、夕方にはやんだ。通夜は夕方だったので、朝からは正直暇だった。昨晩あった副作用も軽減していた。実感のわかない私はのんきに朝からスプラトゥーンをしていた。罰当たりだが、まぁいつも通りを演じようとしていたのかなと今では思う。いい年して喪服を持っていなかったので、妹の夜勤明けに一緒に買いに行こうと思っていたが、妹が睡眠を選んだので一人で買いに行った。手ごろなものが見つかり、途中で母も合流してくれて、さくっと購入した。母と別れ、その後仕事に行った。上司に葬儀のことを伝え、少し仕事をして帰った。いつものように笑い話もし、気持ちはいつもと同じだった。

帰宅後、真新しい喪服にそでを通した。用意しておくことは、社会人としての最低限のマナーと言われ続けていたが、なんとなく購入をためらっていた喪服。まさかばーちゃんのために着るとは思っていなかった。通夜が始まると想像以上の参列者があり、ばーちゃん嬉しいだろうなーなんて月並みなことを考えていた。棺の窓からのぞく顔は、いつもの寝顔とほとんど変わらなくて、昨日あった血のシミもきれいに拭き取られていた。泣かないようにしていたが、参列者の中に見知った顔があると、いろんな思い出とセットになってばーちゃんが元気だった日のことが思い出されて、少し涙が出た。通夜が終わり、精進料理を食べながら、何度も棺の窓を開けてばーちゃんをみた。祖父はばーちゃんが入院した日の話を繰り返ししていた。高齢のため、ばーちゃんの死を理解しているか心配していたが、自分なりに理解しているようだった。この日は祖父と娘たちだけにして、みんな帰宅した。

葬式の日が来た。気温が高く、快晴だった。今まで天気のいい日は、何を洗おうかとばかり考えていた。自宅が終わったら、ばーちゃんとこにも行って洗濯しよう。掃除機もかけよう。そう思っていつも快晴を待っていた。でもいよいよ今日、ばーちゃんが焼かれるのかと思うと、時間が止まったらいいのにと思うばかりだった。葬儀は昨日と同じように進んだ。末のいとこがお別れの言葉を読んだ。しっかり読めていた。えらかった。おばたちは、しきりに私に葬儀風景を撮るように言った。だから携帯でたくさんとった。会場に鳴り響くシャッター音を不快に思った人もいたと思う。でも遺族には今この瞬間しかないのだ。これを逃すともう会うことができないのだ。そう思うと、とるしかなかった。棺のふたを閉める前、みんなで花を並べた。花が好きだったばーちゃん。たくさんたくさん並べた。ほっぺたに少し触ると、もうとても冷たかった。持病はあったが、頬がこけることはなく、最期までふっくらとしていた。霊柩車にのせられたばーちゃんの後を追いながら、火葬場へとバスで向かった。

火葬場は人里離れたところにある。眺めはきれいで、「いいとこだね」とばーちゃんに話しかけた。この日は私たちより前に人はおらず、到着後すぐに火葬の準備が始まった。いよいよこれで終わり。この姿で会うのは最後。そう思うと体が固まったし、おばたちは何度も「おかあさん」と声をかけ泣いていた。母は静かに涙をこぼしていた。ボタンは祖父が押した。通夜の晩「俺が押さないとな」と言っていた。結婚して50数年。ボケたようでしっかりしていた。祖母を見送った後、しばらく親族で歓談していた。山の上で携帯電話もろくに通じなかったが、なんやかんや考え事をしているとすぐに時間はたった。館内放送で呼び出され、収骨場に行くと、ばーちゃんが骨になったいた。骨はとてもきれいだった。大腿骨がしっかりしていると、妹が言って、少し笑った。順番に骨を入れたが、骨壺に収まり切れずに骨を割って入れた。私は瞼の骨を入れた。最後の骨はいとこ1が入れた。名前にかけた柄の骨壺だった。

最期の最後、精進あげ時、うっかりミスで、遺影も遺骨も位牌もぜんぶ家に置いてきてしまった。ばーちゃん連れて行くの忘れてた!とみんなで笑いながら飯を食った。しんみりせずによかったと思う。

帰宅後、一通り着替えたら、なんだか涙が止まらなくなった。ようやくばーちゃんがいないことの実感がわいてきた。とりあえず、忘れないように記録する。思い出はまた別に書く。