ビジネスホテルレポ・東急ステイ高輪

【東急ステイ高輪】★★★★

 

こことっても良かった!!!

最寄駅は都営浅草線泉岳寺。高輪とはついているけれど、高輪は隣。泉岳寺駅出てすぐ。アパホテルの隣だよ。立地は最高。

 

部屋は東急ステイホテルのいつもの感じ。ほどほどに広くてオシャレ。今回はツインとシングルの両方に泊まりましたが、ツインもダブルベッド二つくらいの感じでした。広々。

 

ツイン部屋は洗い場のないタイプのバスではありましたが、トイレとバスは別でした。ツインの時は便利ですね。

シングル部屋はデスク部屋かソファ部屋か選べたのでソファ部屋で。写真はシングル。f:id:gogobon:20190908003547j:image

すでにちらかした後なので部屋全体の写真はないですすす。

 

そして東急ステイの代名詞である洗濯乾燥機ですが、今回も大活躍でした。今回の東京は3泊4日で、初日は東急ステイツイン、2泊目は友人宅、3泊目は東急ステイシングルという流れで、初日の洗濯物は正直ないかなーと思っていましたが、2人分ともなるとなかなかありましたね。靴下を伸ばして入れるとか厚手のものは分けるとかを守ればもっと早く乾いたのになーなんて勉強しながら使いました。

チノパンは乾燥機には向いていないんだけど、ズボンプレッサーが部屋の中にあるのでそれで伸ばした。完璧にはならなったけどまぁええやろ!

 

飯は近くのなか卯

持って帰ってレンジで温めて食べました。よかったぞ。

 

冷蔵庫は相変わらず貧弱。しかし今回はあまり使わなかったのでまぁよし。

そして製氷機と自動販売機が1階にしかないのがなー。ここがちょっとマイナスやわ。しかもフロントの近く。全ての階にとは言わないけど、せめてもうちょっと他の階にもあったらいいのに。フロントの近くにあっても、ふらっと行けないじゃん……。

あとコンビニが近くにない。あるのはデイリー。デイリー、悪くないんだけどちょっと品数がなぁ…。

 

でもまた泊まると思いまーす!

非常食用の米を炊いてみた

会社から「各自非常食を準備せよ」との連絡をもらったので、とりあえず用意したが、果たしてこれ美味いんだろうか?という気持ちになったので一個食べてみた。

 

 

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白米。

中身はこれです。

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炊飯後のご飯を乾燥させたようなものになってます。

注意書きをよく読み、お湯を入れてかき混ぜて20分待ちます。

そしてできたのがこれ。

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結構ずっしり出来上がります。茶碗一杯分くらい。

味は、普通に炊いた時と比べると50%の出来かなー。食べられないことはない。その場しのぎとしてはOKだが、ずっと続くと気が滅入るかな。

 

私は食を重要視するので、一応これをレギュラーに入れておいて、もっといいやつがないか探そうと思います。非常食探しの旅は続く…。

 

 

じーちゃんがしんだ。きろく。

平成31年1月19日午後5時9分、じーちゃんが亡くなりました。信じられない。は〜まじか。ばーちゃんが死んでからひと月も経ってへんぞ。まじかーうおーじーちゃん…

 

正確な時間は見ていないが19日の午後3時30分ごろ、おば2から家の固定電話に電話があった。この時私は自分の部屋にいて、妹とテレビを見ながらどーでもいい話をしていた。いつもは適当に部屋のドアを開けているのだが、この時は閉めていた。我が家の電話は番号を登録すると喋り出すようになっていて、部屋の外で電話が喋ってんなーと思ったが、先述の通り扉を閉めていたので電話の声に気づくのが遅れ、二階で取る前に一階の父がとった。父は電話を切った後、私たちがいる二階に向かって何かを叫んだが、私たちは聞き逃し、「なにーー?」と聞き返した。この時父はすでに出発準備のためにバタバタしており、返答がすぐにこなくて1分ほどタイムラグが生じた。もう一度聞き返すと「じーちゃんが呼吸停止!」と返ってきた。事の重大さに飛び起きて、パジャマのまま先に家を出た。ジャージに真っ赤なパーカーだった。

病院に着いたのは10分後くらいだと思う。エレベーター出て左がじーちゃんの病室だったが、思う場所に名前がなくウロウロしていると看護婦さんが「こっちです!」と声をかけてくれた。慌てて病室の方を向くと、ヨロヨロと力なくおば2が部屋から出てきていた。病室に駆け寄り、入り口からのぞくとじーちゃんは何台ものでかい機械に囲まれて多くの人に囲まれながら心臓マッサージを受けていた。部屋に入れる雰囲気ではなく、部屋の正面の壁にもたれかかりながらじーちゃんの様子をぼーっと眺めた。ばーちゃんの時は心肺蘇生にも間に合わなかったから、間に合ってよかったような気持ちだった。

じーちゃんを見ながら母と妹に病院に着いた事、今いる場所をラインした。ラインの直後に母妹父たちも到着した。母は着くなり泣き出してしまった。ばーちゃんの時はそんな事なかったのになーと思いながら見てた。一通り家族が揃った状態で、一旦待合室みたいなところに案内された。私は黙って座っている気にはなれず何度も病室のじーちゃんを覗きに行った。まだ心肺蘇生は続いていた。この時主治医ではない若い医師から一旦説明があった。心肺蘇生を始めてから数十分経っていること、復活する可能性は0ではないので続けているが、1時間経ったあたりでまたお話をするということ。こんな感じの説明が5分くらいだった。私はじーちゃんには何としてでも生きといてもらいたかったので、もし延命をするしないの話をされたらここでするって言った気がするな。最後に声をかけることはできますか?って母たちが尋ねた後、先生は少し困って迷いながらもオーケーしてくれた。ほんとは邪魔になったんだと思う。でも許してくれたのは感謝してる。泣き叫ぶ母たちに遠慮して私は部屋に入らなかった。入り口から見てた。

この説明の後からおば1とイトコ2が到着した。おば1はばーちゃんの時に1番取り乱しており、今回もそうだった。心臓マッサージをする看護師さんたちを押しのけるようにじーちゃんのそばに行き、声をかけていた。しばらくそうしていたら主治医が到着した。先ほどの若い医師が主治医をに別室呼び、話をしていた。この時父は外の看護師に、この状況を尋ねていた。看護師は心肺蘇生をしている間も脳は壊死し続けていることを説明してくれた。私はこのあたりで弟に電話をかけた気がする。すぐに弟は電話に出た。「じーちゃんやばい感じ」と告げると弟は「まじかー…。」と言ったあと、ばーちゃんの件もあったので今この段階で帰るのは難しいと言った。気持ちはわかったのだが、正直今のじーちゃんは心臓マッサージで生かされている状態だった。多分やめると心臓止まる。この状況を伝えるかどうか非常に迷ったが、伝えなかった。私も一縷ののぞみにかけたかったんだと思う。確定してからまたかけるわと言って切った。そうこうしてると主治医が部屋から出てきて家族が呼ばれた。私とイトコ2はそのままじーちゃんのそばに残り、他の家族で説明を受けた。心臓マッサージを受け続けるじーちゃんの横で私はじーちゃんの左手をペチペチと叩きいろいろ話した。ばーちゃん死んでからまだひと月たってないぞーとかイトコ2が高校通ったよーとかじーちゃんがんばれーとか。手は冷たくなっていったが、死人の手とまではいかなかった気がする。ペチペチ叩き、がんばれーと言ったが、目の前のモニターの心臓の線は度々0を表示しており、多分心臓マッサージをやめたらもうダメなんだろなーとは思っていた。わかってはいたが、この線ってなんですか?と頑張ってくれている看護師さんに聞くのも気が引けて、聞かなかった。いとこと部屋に取り残されて随分時間が経ってから、主治医と家族が入ってきた。そして心臓マッサージが止められた。あー、もうこれで終わりかと思った。まぁ肋骨折れまくってるやろなーとかぼんやり考えてた。

部屋から一旦出たが、すぐに確認のため呼び戻された。ペンライトで主治医が瞳孔を確認して、「17時9分、ご臨終です。」と告げられた。テレビドラマみたいだなと思った。

 

じーちゃんが死化粧を施してもらっている間、待合室に移った。変な話だが、ばーちゃんのお葬式をついこないだしたばかりだったのでみんななんとなく流れはわかっていた。すぐ葬儀屋や仕事先、親戚に電話をかけたが、みんな動転してしており、一軒かけ終わるごとにしなくてもいいような世間話を挟んでしまっていた。しばらくすると看護師さんが荷物の片付けをいいですかと言ったので、私が代表して片付けにいった。パジャマとか靴とか諸々。大きなポリ袋と台車を貸してくれた。有り難く使用させてもらうことにし、ゴロゴロと駐車場まで持ってった。休日の病院はインフルエンザ対策として受付窓口で見舞い先の記入、マスクの配布、アルコール消毒をしており、この人受付に座っていた人は面識のある人だったように思う。しかし完全にプライベートで訪れたため、なんとなく声をかけるタイミングを逃しそのまま通り過ぎた。荷物を入れ、病院に戻るとすぐ、心肺蘇生をしてくれた看護師さんの1人に会い、台車を代わりに押してくれ、一緒にエレベーターであがった。急だったですねと声をかけられた。何か話を続けなければと思ったが、言葉も出てこず、静かなまま目的の階についた。おば1とイトコ2はこのあたりでじーちゃんの家の片付けのために離脱したと思う。待合室に戻ると、母たちはじーちゃんのCTを撮ってくれと医師に伝えてたみたいだった。2回目の説明の時に、希望があればCTを撮ることができると言われていたようだった。

CT撮影はすぐ終わったが、そのあとの説明まではだいぶ時間が空いたように思う。この時間でたびたびじーちゃんの顔を見に行った。布団をめくり、顔を目おでこをペチペチと叩いた。その間待合室では、母のいとこやばーちゃんの兄弟なんがが駆けつけてくれて、話をしていた。しばらく話をしていたが、看護師に呼ばれナースステーションで主治医から説明を受けた。この時父と妹は今回の急変原因や急変に至るまでのストーリーにある程度のあたりをつけていたようで、主治医からの説明の後いろいろと質問していた。説明の後、また待合室に移った。

待合室に移ったあと、ばーちゃんの時と違って妹はなんだか怒っていた。妹の考えるストーリーだと病院側に落ち度があるということしか考えられないようだった。解説を聞きながらなるほどと私も思った。まぁなんだ、3回目の先生の説明の時に、妹が質問すると先生が微妙な顔をしていたからなぁ。なんとなく分が悪いと思っていたのだと思う。私は1人立っており、途中でじーちゃんの顔を見に行ったりした。一通り説明が終わり、全員退出してまた待合室に戻った。葬儀屋さんにお迎えの連絡を入れて、霊安室に行った。エレベーターに乗り切れなかった私は主治医と一緒に階段を駆け下りたが、この間会話はなかった。階段を下りきった時、ちょうどエレベーター組と会った。霊安室まで続く長い廊下を歩きながら私はふとこの時手元あった死亡診断書を何気なく開いてみた。見ると、先ほど医師から受けた説明とは違う死亡原因が書いてあって、思わず笑ってしまった。えー?先生、これ、違うんじゃね?と思ったが、もう死んだのには変わりなく、とりあえず妹に無言で見せた。妹も思わず笑った。気の抜けたような笑いだった。えー…うそやん、みたいな。父にも見せたが老眼鏡を忘れた父は読めなかったようだ。仕方がない。

 

ばーちゃんの時は家の片付けに行っていたので霊安室に入れなかった。今回初めて入った霊安室。倉庫のようなところだった。医師、看護師も一緒に部屋に入り、葬儀屋が来るのを待った。祭壇の前に寝かされたじーちゃんに初めは誰も近づかなかった。誰も行かないのかなと思ってたらばーちゃんの弟が近づいて、顔を見て手を合わせた。母は最後まで近づかなかった。私は無言でじーちゃんの体をつついたり、ペチペチと叩いた。お腹がとても張っていた。この時午後7時40分くらいだったと思う。実はこのあとじーちゃんのねーちゃんが入院する病院に行かねばならなかった。面会時間は9時まで。移動時間を考えるともう出ないとまずくて、妹を誘って先に霊安室を出た。病院を出るまでの長い廊下を歩きながら、妹が看護師さんに礼を言いそびれたと言うので一緒に霊安室に戻った。戻る途中、霊安室の先に葬儀屋の車が来たので、見送りまですることにした。じーちゃんが乗せられていくのを見たあと主治医達に礼を言って、元来た廊下を駐車場の方へと歩いて行った。

 

父母はこのまま直接葬儀屋との打ち合わせにいくと言うので、母に死亡診断書が今ここにあることと、葬儀屋に死亡届を任せると走り書きのように書かれるので母に書かないかと言ったが、頭がぼんやりしている母は葬儀屋との打ち合わせに死亡診断書が必要だと言うことをよく理解できず、曖昧な返事をしてそのまま打ち合わせに出てしまった。追いかけて渡そうかと思ったが、今渡しても葬儀屋にそのまま渡しそうだったので、一旦家に持ち帰った。

家に帰りすぐじーちゃんのねーちゃんの病院に行く準備をした。準備が終わると台所のテーブルで死亡届を記入した。普通のボールペンでもよかったが、線がはっきりと濃く出ないのが嫌いなので、濃い黒の出るジーノックを使った。私のお気に入りのボールペン。じーちゃんの名前と住所、生年月日、死亡した日、本籍地などを書いた。書き終わってすぐに家を出て、死亡届をコピーするためにコンビニに寄ったところで父から電話がかかってきた。葬儀屋との打ち合わせで案の定死亡届が必要だったようだ。知ってたわい!と思って、すぐにコピーとってじーちゃんの家に持ってった。玄関先でポンと渡してじーちゃんのねーちゃんの病院に行った。

到着は8:40分くらいだったかな。じーちゃんのねーちゃんは寝ていたが、そっと体を触るとすぐに目を覚ました。耳が遠くなっており、左耳でないと会話が聞こえないが、この日は左耳を下にして寝ていた。少し頭を持ち上げ、左耳元で声をかけると反応があった。「元気ですか」「何人兄弟ですか」「お父さんの名前は」「お母さんの名前は」という質問を投げかけて、どれも正解を返した。もう90も過ぎて5人兄弟で唯一生き残った存在だというのに頭はとてもしっかりしていた。さすがに入院が長引いているので、今日が何日だとか今が何時かというような質問は苦手のようだった。15分程度滞在し、ビデオカメラを回して帰った。ビデオ撮影をしているとき、じーちゃんももっととっとけばよかったなーなんて思った。帰り道でも妹はまだまだ病院の対応について話したりないようで、ここは姉として黙って聞いてやらねばと思いながら運転した。途中、母へ電話をかけ何かいるものを尋ねた。食べ物をと言われスーパーを回ったが、時間的に総菜はどこもなかった。しかたなくピザを頼んで買って帰った。家族はみな腹をすかしており、足らなかったかなーなんて思いながら食べた。この日はおば2と私が祖父のもとに泊まり込むことになった。おば2は祖父の横で寝ずの番をし、私は違う部屋で夜を明かした。電気を消す気にはなれなかった。4時ごろにコンビニへ行きカフェラテを買って帰った。夜明けの雨がひどく冷たかった。

 

翌朝8時には母がきて交代した。家に帰ると心身の疲労からそのまま寝込んでしまい、通夜ぎりぎりに駆け込んだ。通夜にはばーちゃんの時と同じような顔ぶれの方々にご参列いただいた。何回もすみませんというしかない私たちだった。途中、弟と連絡を取り、通夜が終わった直後に駅まで迎えに行くことになった。せっかくなので妹といとこ1,2をつれていき、弟を拾った後に葬式会場に行く前にじーちゃんのねーちゃんのところにいった。向かう途中、弟はしきりに妹になぜじーちゃんがこんなことになったのかずっと尋ねていた。弟なりに疑問に思っているようだった。

じーちゃんのねーちゃんのとこに5人そろっていくのは初めてのことだった。昨晩と同じように寝ていたが、眠りが浅いのか、弟が軽く触っただけで起きた。「誰だかわかる?」という質問には間違えたが、受け答えはしっかりとしていた。私がカメラマンとなり、みんなで写真撮影をして帰った。祖父のもとへと 急いだ。会場に着くと親戚が通夜ふるまいと食べていた。ばーちゃんの時とちがい少し酒も出たようで、何人か酔っぱらっていた。まぁじーちゃんも酒好きだったし、しょうがなかった。

帰ってもなかなか寝付けなかった。布団でスタホをいじっていると、いとこからお別れのお手紙を一緒に考えてくれというお願いがきた。ぽちぽち作って送信したところで寝た。

 

式は滞りなく終わった。祖父の部下だった方が、「棺に花を入れてもいいですか?」と聞かれたら。どうぞどうぞと返事をした。じーちゃんは好かれてたんだなぁ。

 

そのまま火葬場に行った。二ヶ月連続の火葬場。じーちゃんの骨はとてもしっかりしていた。顎の骨なんか、みんな見た時驚きの声が上がった。死ぬわけないと思ってたんだろなー。

 

悲しい。でももう書く気力がないのでこの辺で終わる。

 

ビジネスホテルレポ・東京銀座

東京銀座ベイホテル★★★★

 

東京に泊まる時はいつも路線図とにらめっこしながらホテルを決める。これが結構頭使うんだよな〜。値段や立地、部屋のタイプとかを比較して選ぶけど、常にタブを5個くらい開きながらやるwww

2018〜は三ヶ月おきくらいに上京しておりますが、今回わかったこと。それは「悩んだら銀座に泊まれ」ということ。羽田からすぐ近いし、いろんな線が交差している。そして治安がそこまで悪くない。夜の銀座と、朝の銀座はとてもスッキリしているよ。

 

さて、今回泊まったのは「東京銀座ベイホテル」という名前の綺麗目のカプセルホテルです。最寄駅は丸ノ内線銀座駅で、A3出口からがわかりやすいですが、閉鎖されている時はA5から出口から出てください。10分ほど歩くかな。

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向きは違いますが、この看板の前も通ります。ざっくりいうとまっすぐ行って左です。

ホテルの外観写真はありません。すんませんすんません。入り口に足湯がありました。ホテルのすぐ下と見える範囲にローソンとファミマもありました。あとドンキもありました。食料や生活消耗品はすぐに揃えられそうです。

 

ホテルの入り口にはエレベーターがありますので、まずそれで3階まで行ってください。狭いのですがカウンターでは3人同時に受付ができるようになってますんでそこでチェックインです。簡単だ説明を受け、カードキーを渡されます。もらったカードキーはそのままでは使えませんので、受付横の自動精算機でかざしながら前払い。するとカードキーに命が吹き込まれます。

性別でフロアが分かれており、4階が女性フロアとなっております。フロアの扉前に下駄箱がありますので、靴を脱いでスリッパと履き替えます。下駄箱には鍵がかかります。そしてフロア入り口。こちらはカードキーをかざさないと入れません。中に入るとまずロッカーです。

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正面に見えるのが入り口。この写真は突き当たり側から入り口の方に向かって撮りました。奥にスーツケースが見えますが、ロッカーに入りきらない大きな荷物をしまう棚があの辺りにあります。フロアに入ると利用客の顔ぶれがわかります。シーズンにもよると思いますが、5割くらいは外国の方でした。

まずは荷物を片付けます。

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これが個人に割り当てられたロッカー。上下二段に分かれており、一段ずつ使います。一段になってる奴もあったけど、そっちは長期宿泊者向けかな?ロッカーは狭く、リュックなら入るけどスーツケースは無理だろな〜って感じ。開けると中に寝巻き作務衣、バスタオル、普通のタオルが入っております。この三点は一泊ずつ支給されます。ロッカーは暗証番号で鍵をかけるタイプです。

ロッカーコーナーのすぐ隣は作業スペースとなっております。

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飯を食ったり、パソコンしたり、お話ししたりはこちらでします。電子レンジ一台とポット一台がありました。壁側にはコンセントとUSBコンセント。冷蔵庫はありませんが自販機がありました。荷物の整理をロッカーコーナーですると通路を塞いでしまうので、作業スペースの端っこの席がとれたらこちらでするのもありです。リュックくらいならこちらでできると思います。

ここをでると廊下があり、シャワールーム(シャンプー、リンス、ボディソープ有)とお手洗い(ウォシュレット無、除菌用アルコール無)、メイク室(ドライヤー有)、禁煙室がありました。廊下には支給品の歯ブラシ、耳栓、ボディタオル、綿棒&コットン、T字カミソリがありました。シャワールームとトイレはそれなりの数があり、混み合うことはなかったと思います。あと有料洗濯機と有料乾燥機はありましたが、こちらは台数1〜2台でした。

シャワーを浴びて着替えたら、いざお泊りルームへ!

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こちらが1人分のスペースです。今回はテレビ無し。枕元にコンセントがあり、鏡と小さな台、ハンガーが1つ付いています。お泊りルームは静かで、ビニール袋がかさつく音も響きます。入り口はすだれを下ろす形ですね。防音は無いに等しく、いびきも聞こえまくりでしたww

スペースのライトはアップダウンが調整可能ですが、空調はルームで一括管理。めちゃくちゃ暑くて半袖で寝たぞ/(^o^)\あの感想でカラカラでした。マスク必須!!!布団はんー、せんべい布団かなぁ。掛け布団も薄め。私はあまり気にならなかったけど、気になる人は気になると思われます。

 

トータルでの感想は80点!普通のビジネスに比べると、そこはカプセルなのでいろんな点で劣ってしまいますが、銀座に急遽泊まっても(前日に予約した)二泊で6千円台という破格の安さはなかなかの高評価です!!多分次回もホテルがなかったら利用すると思います\(^o^)/

はじまった2019

さぁはじまった、2019年。今年の元旦は、御節も初詣もない。なんというか、のんびりした一日だったなぁ。

じーちゃんのとこにも行った。じーちゃん、ガンの影響で呼吸が苦しそうだが、まだまだ元気。負けるなじーちゃん。まだまだだぞ!!ばーちゃん、じーちゃんを連れて行かないでね。

 

今年はどんな年になるのかな。わかんないな。目標は……そうだなぁ、健康第一かな。ちょっと健康に黄色信号なので、病院に行ってみます。大したことありませんように!嵐のコンサートも行けますのうに。

米津玄師のLemonを聞きながら振り返る2018

レモンって曲は、米津さんがTBSドラマ・アンナチュラルのために制作した楽曲。祖父を亡くすという体験から生まれたもの。さっき紅白で紹介された。そうか、レモン。そういう曲だったのか。アンナチュラルは好きで見てた。だからレモンはアナンナチュラルとセットで覚えてた。でもそうか、これは亡き祖父を思いながら作った楽曲。そう思うと、うちのばーちゃんが思い浮かぶ。

2018年はいい年でした。仕事は相変わらずポンコツです。その点は本当に申し訳ない。しかし、今年は敬愛する神々とお会いすることができた貴重な年でした。思えば今年の2月。このブログの開設のきっかけは神のSNS引退でした。悩んだ末にSNSを引退した神をどう追いかけるか。追いかけるも何もサイトはそのままあるのだから、今迄みたいに見に行けばいいんだけど、それだけでは何か足らなくて、どーにかこーにか神を陰ながら応援したくて勝手に作ったブログ。作ったっきり、特に更新してなかったけど、ふとした時に「頭でいろいろ考えてると疲れる。書き出すことで頭の疲労を軽減できる」という今更ながらの自己管理方法に行きついて、勢いだけで書くようになった。勢いだけなので本当に意味不明だし、誤字が多い。許しておくれ。すんません。しかもジャンルもぐちゃぐちゃだ。ひょんなことから神にもこのブログがばれてしまった。ジャニオタもばれ、はずかしかった(^p^)ま、いっか!

 

いい年とは言ったけれど、ばーちゃんの件があった。本当に悲しい。心はいつまでも晴れない。世の中に祖母を亡くした人はたくさんいると思う。でもみんなどうにかして、そのことと向き合っているのだ。だから私も向き合わなければならない。頭の中でレモンが流れ続ける。歌詞はまだ沁みてこない。たぶんまだ受け入れることを拒否しているからだろう。これでいいのか。たぶんだめだとは思うが、どうすればいいのかわからない。もともとポンコツだからずっとこのままかもしれない。

 

きっといつものように年越しはジャニーズカウントダウンを見ると思うんだ、ばーちゃんも好きだったし。ジャニーズ聞いて元気だそー。よーーーーーーーし!!ジャニーズ元気メドレー作るか!!!!!トップはV6のハニービートだな!!!!!!!

みなさん今年もお世話になりましたー!!!!!!!1また来年もよろしく!!!!あ!!!!!!!!!!!!婚活は今年収穫0でした!!!!!!!!!!!!!1