ばーちゃんがしんだ。おもいでとおもい。

私は初孫だった。悪気はないが口の悪いばーちゃんは、私が生まれた当日に病院に見に行き、「鼻が低い」と言い放った。映像に残っている。

お宮参りの日はばーちゃんに抱えられていた。父がビデオ撮影をしていたが、緊張していたばーちゃんの顔はこわばっていた。うける。

毎年みんなの誕生日には外食の予定を立ててくれていた。数年前からそれを言わなくなった。誕生日を忘れられた母がさみしそうにしていたのを覚えている。

そういえば私が乗っている車は、実はばーちゃんにぶつけられた。ばーちゃんの車に乗っていたいとこがそのことを証言したのだが、強情なばーちゃんは「私はぶつけていない」と言った。この辺りはくそばばあかもしれない。

来年の増税前に車を買い替える予定だった。私は運転が下手でああるが、絶対5人乗りと決めていた。ばーちゃんの家は4人家族だからだ。病院に行くときに便利だろうと思ったからだった。

 

私がばーちゃんの家を片付けに行っていたのは、ばーちゃんに快適な生活をしてほしかったからだった。いつ買ったかわからないような飯を食わないでほしかった。冷た暗い台所で飯を食うのではなく、明るくて温かいところで飯を食ってほしかった。寝るところだって、ソファではなく、ちゃんとしたベッドで寝てほしかった。だから何時間もコインランドリーで洗濯したし、たくさん寝具を買いそろえた。

家を建て替える計画だって、冷蔵庫を買い替える計画だってもっと早くに進言していた。力不足で申し訳ないが、金がなかったのでいうことしかできなかった。

たくさんしてきたことはあった。でも振り返れば、もっと強行できたことはあったと思う。ようやく動き始めた建て替え計画。ばーちゃんが死んだ今、建て替える意味があるのか?とすら思うようになった。私はばーちゃんに快適な家に住んでほしかったから、立て直してほしかったのだ。祖父の姉は施設から帰ってこないだろうと思う。祖父もガンが肺に転移している。跡継ぎはいない。じゃあ家建て替える意味あるのか?だれが住むんだ?おばちゃん、一人で住むの??問い詰めたくなるが、我慢する。みんなばーちゃんを亡くして悲しいのだ。

祖父の姉と祖父とばーちゃん。ばーちゃんが一番若くて、頭はしっかりとしていただけに、だれも予想していなかった。悲しい。今年、私はやけに死を考えていた。きっかけは同級生の死。とにかくとにかく考えていた。しかしそれでもばーちゃんが死ぬとは思ってなかった。昨日、骨になったばーちゃん。今度からは仏壇の横にばーちゃんの写真が飾られるのかと思うと、どういう気持ちでいればいいのかよくわからない。

買ったばかりの年賀状は、たぶん両親の分は喪中はがきに変えると思う。しかし私は普通通りに出す予定でいる。ばーちゃんの件は確かにあるのだが、なんというか「今まで通りのお正月」を迎えたいという気持ちもあるのだ。なので皆さん、年賀状はください笑

 

徐々に実感がわいてきた。ちょっとだけくそばばあだったので喧嘩したこともあったけど、後悔はしていない。楽しかったから。最後に背中を触ったとき、当たり前だが生きていた。ちゃんと会話もできた。うん。でももう今はいないし、これからもできない。

できたこととできなかったこと。してあげたかったこと。すればよかったこと。たくさんある。私は孫なので、子供たちのほうがショックが大きいと思う。だからこのブログで言うだけにする。